TOJOの妄想 〜 そもそも論:理解するということのイメージ 〜
学生時代、電車に乗ってる時間が多かった。
混んでいたので、本を読んだりするスペースもなかったので(殺人的に混んでいた)、
いろんなことを想像というか、妄想?哲学?していた。
当時は、みんな恋やら、愛やらに躍起になるお年頃。
特に女子は、恋バナとかが大好物。
そんな話で盛り上がっているとふっと思う。
・そもそもなんで女は男が好きか、なんで男は女が好きか。
・そもそもなんでもてるために、女子は着飾るの?
まぁ、たとえばこのようなことをひとり電車で考えることが習慣だったわけです。
そのお題の共通項は、
『当たり前になっていたけど、改めて考えるとそうある理由が説明できないこと』
そもそも論。
たぶん、誰か同じことを考えていて、ネットで調べたら、わかりそうだけど、
あえて調べるまで知りたいってわけでもないし、それに自分で考えることが面白い。
ってか、今考えると、ほんと何もすることなかったんだな・・・って思うけど、
色々な妄想をして、それはそれで楽しかったのです。
時は流れて、約8年?!
今その内容を思い返すと、さらにエッセンスが増えていて、
あのとき思ったことは、間違ってはいなかったけれど、足りない要素があったな、ということがある。
「だから、ナニ?」っていう内容が多いけど、世の中、そういうものが基本になっていたりするし、
まぁ無駄ではないかな、という大義名分でブログにつぶやいてみよう・・・
〜〜〜〜〜
ほんとうのこと。本質。真実。知識。
色々な表現があるが、そもそもどんだけ理解すれば、
本当のことがわかるのか、という素朴な疑問も沸く。
しかし、
このブログでも何回か書いているが、
”すべてがわかっている人間は存在しない”。
なぜか。以下、その証明。
人は、年を重ねるごと、経験を積むごとに、
すべての要素に対し、わかることが増え、そして、わからないことも増える。
(これは、私が勝手に想像していることです。科学的にどうかは未確認です。)
画像はイメージ。
”理解していることが増えるということ”は、球の体積が増えていくイメージ。
本質は、球の体積、そして、球とそのほかの接する部分=球の表面積が、”わかっていない部分”。
前提は、球を除く部分は、無限大であるということ。地球と宇宙みたいなイメージです。
なので、球が大きくなればなるほど、球以外と外接している面積が増える。
理解の話でいうと、わからない部分も増えるということ。
土台となる球以外の部分は、無限大であることより、球がどれだけ大きくなっても、
接する部分の面積は、ゼロになることはない。
物事を理解すればするほど、わからない部分が自ずと増え、
知ろうとすると、また球の体積=理解できたことが増えていく。
よって、”すべてを理解している人間は、存在しない”ということの証明になる。
それを”面白い”、”もっと知りたい”、”大変”、”もういいや。”など、
どう捉えるかは、その人の価値観によるものであるでしょう。
個人的には、知れば知るほど、自分がまだ知らないことが多いことに気がつくことができ、
いろんなことが知りたくなるし、そのためにいろんなことをしたいし、行きたいし。
面白い仕組みだと思っています。
この証明は、土台が無限大だという前提ですが、
仮に有限だったら・・・・それはそれで面白いですね。
人間の大きさは、この球の大きさとほぼ同じものな気がする。
個性は、球の歪み具合と、色であらわす。そんなところだろうか。
と、また球がちょっぴり大きくなったところで、本日の妄想は終了〜。
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